ラポール・ラボのコンセプト

「自分らしく、素直な心で生きる」ように

 

ラポール・ラボでは、
障害があるなしにかかわらず、どんな人も
「自分らしく、素直な心で生きる」
ようになることを目指しています。

 

「自分らしく、素直な心で生きる」と
心はとても軽くなり
人生が楽しくなります。

 

 

「自分らしく」生きることは
「わがままにしていい」ということではありません。
「本当の自分を大切にする」ということです。

 

「素直な心で生きる」ことは
「言いなりになる」ということではありません。
「本当の自分・本当の周りの人を承認できる心をもつ」ということです。

 

どんな方でも、
過去の経験や周りの環境などから、
知らず知らずのうちに
潜在意識に染み込んでまった
「思い込み」や「心の癖」を持っています。

 

 

特に発達凸凹の方や
その周りの方は、
間違った「思い込み」に
縛られている事が多い
です。

 

 

その不必要な
間違った思い込みを、
ラポール・ラボで提供する
各セッションでは1つ1つ解除し、
皆さんが持っている
本来の「自分らしさ」を取り戻し、
「素直」な自分に戻っていく事ができます。

 

 

そして
「自分らしく素直に生きる事」で、
自己肯定感が上がり
『幸せだな』と感じられる
毎日を過ごせるようになるまで
各サービスでサポートしています。

 

 

素直な心とは(松下幸之助〜『素直な心になるために』より抜粋)

 

素直な心と言うものは
単に人に逆らわず従順であると
言うようなことだけではありません

むしろ本当の意味の素直と言うものは
力強く積極的な内容を持つものだと思います

つまり素直な心とは
私心なく曇りのない心というか
1つのことにとらわれずに
物事をあるがままに見ようとする心と
言えるでしょう。

 

そういう心からは、
物事の実相をつかむ力も
生まれてくるのではないかと思うのです。

 

だから素直な心と言うものは、
真理をつかむ働きのある心だと思います。

 

物事の真理を見極めて
それに適応していく心だと思うのです。

 

したがって、
お互いが素直な心になれば、
していいことと、
してならないことの区別も
明らかとなり、
また正邪の判別も誤ることなく、
何をすべきかも
おのずとわかってくると言うように、
あらゆる物事に関して
適時適切な判断のもとに
力強い歩みができるように
なってくるのではないかと思います。

 

つまり
お互いが素直な心になったならば、
強く正しく聡明になると思います。

 

聡明になると言う事は
賢くなると言うことです。

 

素直な心が高まっていったならば、
賢さが次第に高まってきて、
ついには神のごとく聡明に
賢くなると言うか、
神のような英知を持つことが
できるようになると言えましょう。

 

そこからは
常に判断を誤たず
強く正しく行動できるようにも
なってくると思うのです。

 

『素直な心は人間の本然本然の心』

お互いにそういう
素直な心になるということが
非常に大事だと思います。

 

そして
そのような素直な心と
言うものをこそ
お互いに人間が本来備えている、
人間としての
本当の心ではないかと思うのです。

 

お互い人間は、
もともとこうし
た素直な心を持っている
のではないでしょうか。

 

もしそうだとすれば、
その素直な心を持っている
のではないでしょうか
もしそうだとすれば
その素直な心を
12分に表して生活し活動していくこと
というのが
人間としての本来の姿
あり方であると言える
のではないかと思います。

 

そもそも
人間とはどういうものか
と言うことについては
万物を支配することのできる
偉大な王者と言う
本質を与えられている
と言うことではないかと
思うのです

つまり
人間と言うものは
互いに愛よって共同生活を
営み万人万物一切の
持ち味を生かし合う
ことによって
これを常に
より好ましいあり方に向上させ
自他共に
身も心も豊かな幸せな姿を
12分に十分に実現していく
ことができる
そういう偉大な本質を
与えられていると
言うことです。

 

それでは
そういう偉大な本質と
言うものは
一体どうすれば実際に
発揮できるのでしょうか。

 

ごく簡単に言えば
お互い人間が
万物の王者たるの
自覚を持って
一切のものを
あるがままに認め
適切な処遇を行って
これらを共に生かしていく
ところに
人間の偉大な生と言うものが
実際に発揮されていく
と言うことです。

 

この人間道と言うものを
正しく力強く歩んでいくためには
どうすれば良いのかというと
それはもちろん
人間道の力なりと
内容と言うものを
十分に理解し
吟味して
その実践を絶えず心がけて
いくことが肝要である
と思います。

 

けれども
こういったことの
根底においては
やはりお互いが
素直な心になることが
必要不可欠だと思います。

 

つまり
お互いが素直な心になって
こそ人間道実際に歩む人間の
偉大な本質を
現実に発揮していくことが
できると思うのです。

 

さてそれでは
その素直な心と
言うものになるには
いわゆる苦行と言うような
何か特別な修行が
必要なのでしょうか

もちろん
そういったそういう
苦行のようなことも
1面においては
効果があるかもしれません

しかし
大切な事は
まずお互い自身が
既にもともと
素直な心を持っている
と言うことを
はっきりと認識する
と言うことでは
ないかと思うのです

 

つまり
特別な修行した
特別な人だけが
素直な心になれる
と言うのものでは無い
この素直な心になる
と言うことに
常に心がけ
自分なりに工夫を凝らし
実践に努めて行けば
誰もが
素直な心になれる
と言うことです。

 

なぜなら
もともと人間には
素直な心と言うものが
備わっているからです。

 

つまり、
素直な心と言うものは、
お互い人間としての
自然な心人間としての本地の心、
そういったものでは
ないかと思うのです。

 

素直な心が
出にくいか
なぜ素直な心が出にくいか
そのように
お互い人間は
本来素直な心を
持っているわけですが、
しかし
それが常に表面に出て
実際に働くかというと
必ずしもそうはいきません。

 

素直な心は
持っているけれども
なかなかそれが出てこない、

だから
素直な心になることが
できにくいと言うわけです。

なぜそういうことになるかといいますと、
それはお互い人間が
生きていく上において
いろいろな囚われが
生じやすいと言うことも
1つの理由ではないかと思われます。

 

ラポール・ラボ代表 ジュンコ田中

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